- シチリアのジャン・レノさん(南イタリア紀行) -


2006.5.19〜26


そもそもシチリアに行きたかった理由が、リュックベッソン監督の「グランブルー」に出てくる映像に魅せられたからだ。
エメラルド色の海と、暖かそうな太陽の光、それと何と言っても劇中に出てくる、海の幸のスパゲティーが実にうまそうだった。






シチリアではフェリーで渡り、海の見えるリゾートホテルに泊った。

映画の1舞台ともなったタオルミーナは、青く輝くイオニア海とエトナ山を一望する風光明媚な保養地。
リゾート地の中のリゾートで、そのメインストリートには、カフェやブランドショップが並んでいる。






結構な数の観光客で賑わう


そして、映画でも出てくる坂道の路地裏。
路地裏マニアの僕にとっては、これはかなりエキサイティングな体験だった。

シチリアのシンボルは太陽で、この太陽に顔を書いたお土産品が沢山売っている。
色も太陽の黄色と、海の青と言うことで、何もかもが派手である。








ベランダや家の軒先には、南国らしい赤やピンクの花で彩られ、そして鳥の声もちょっと違う。
風は無く海を見ると穏やかで、少し霧が掛かっている。
島にはエトナ山という、標高3300メートルもある大きな活火山があるのだが、モヤであまりはっきりと見えなかった。
しかし、それにしても美しい島だ。
肝心の海のスパゲティー屋さんには行けなかったが(タクシーで結構かかると言われたから)、それでも十分に空気感は味わえる。



リゾート地のタオルミーナ


イタリアでは、平野部で沢山の丘を見ることが出来る。
その丘の斜面や頂上に、なんでこんな所に家を建てるんだ?と言う感じで、家が点在する。
理由は、昔街が敵に攻められないように、高台に街を創った名残だそうだ。
その風景が面白く、ちょっと下の街に出るのも結構大変なのではないだろうか?

そしてその昔、アラビアの人が攻めてきて半分壊れたギリシャ劇場もこの島にある。
シチリアは他の国の人間にとっても魅力的なのだ。



ギリシャ劇場とかすかに見えるエトナ山


ここでは、ウニのスパゲティーとカジキのソテーを食べた。
ウニを食べるのは、イタリア人と日本人位だと言うが、日本でも僕の連れみたいにウニを嫌いな人もいる。

本当はここに1週間くらいは居てのんびりしたいけど、僕はお金持ちでは無いからそそくさと通り過ぎるしかないのだが。



シチリアと言えばマフィア発祥の地だ。
裏で政治家との癒着もあったということで、市民が力をあわせ平和を取り戻したと言う。
しかし、それで治安が良くなったかと言うと、そうでも無いみたいだ。
僕は、これでも結構用心してた方なので、スリや強盗には遭わなかった。

パレルモの街の印象は、車が多く、騒がしく、汚い街だ。
同じシチリアでも、やはりリゾート地のタオルミーナとは天と地だ。






クワトロカンティとマッシモ劇場。他にも文化的建物が幾つもある。


まず、走っている車の数よりも、その辺に駐車している車の数の方が多いのではと思うくらい、路上駐車が凄い。
二重駐車は当たり前で、その車両間隔は猫の額ほどの狭さで、ギュウギュウに車が止められている。
なのでどうやって駐車から出るのだろうかと車を見ていたら、その車は20回くらい切り替えして抜け出せたから大したものだった。

ローマなども大都市もそうだが、イタリアの都市では駐車場が確保できないのは、建物がひしめき合っているからだそうだ。
その為に仕方なく、路上駐車しても良いことになっているらしいが、いくらなんでも歩道スペースまで車で占領されるからとても歩きづらい。

だから、イタリアにはフェラーリなんて高級車はまず見当たらない。
走っている車はフィアットやオペルの1300CCくらいの小さい車。
これらがまた汚く、バンパーなどか壊れている車も結構走っている。
一番見かけたのは、メルセデスのスマートで、面白いくらいに沢山あった。


そして騒がしのはどの国の都市でも変わらないが、イタリアの騒音も相当けたたましいものがある。
車のクラクション(駐車場から出ようとして出られない車)、やたらと多い救急車のサイレン(音程が変わらない)、盗難防止用のサイレン(夜でもうるさい)。
それに街の車道は、つるつると歩いていても滑りやすい道路で(アスファルトじゃないよなコレ)、キュキュっとブレーキ音もうるさい。

イタリアは極端に信号機が少なく、歩行者も目の前に横断歩道(薄くて見づらい)があるにもかかわらず、平気で車道を横切る。
その為に、急ブレーキを止めるしかないのだ。
この街では、どうも歩行者が優先らしく、人々は平気で車道を渡っていく。
僕らもまねて車道を渡ろうと左右を確認していたら、現地の人が手で「渡れ渡れ」と合図しているから、意を決して渡ってみたがやはり怖かった。


街の汚さに関しては、まず野良犬がそこらじゅうに居ること。
首輪か何かをしているのならまだ安心できるが、それすら無いのでこれも最初は怖かった。

それにゴミがいたるところに落ちているし、ゴミは回収されていないみたいだ。
選挙のポスターなんて、他の立候補者の上にさらに貼り付け、何重にもなっているから見苦しい。
東京に帰ったら、東京の街でさえ綺麗な街だなあと思うくらい、パレルモの街は汚かった(日本は綺麗な国だよ)。








そんな騒がしかった街が、お昼過ぎからパタっと静かになる。
暑くて仕事なんかやっていられるかと思っているのか、昼過ぎから夕方まではシエスタと言う休み時間。
店も大半は閉まっているし、ストリートで賑わっていた人並みもどこかへ消えた。

なので、僕はお昼をどこかの食堂で食べようと思っていたのだが、なかなか見つからない。
開いているのはだいたいがバールで、他には観光客相手のブランドショップくらい。
しかもそのブランドショップの綺麗な格好をした女性店員でさえも、店先でパンか何かを頬張っている。
日本ではあまりこういうのは見かけられない。

他には帰りの飛行機(またアリタリア)のスチュワーデスさんに、食べていた柿の種をちょっとくれないかと言われるし、
ウェイトレスさんがパスタを盛り付けていて量が少し足りなかったのか、「あらヤダ」と言う感じで「アハハ」と笑って厨房の方に消えていくしで、この辺は日本と全然違う。
まあ、マニュアル通りで律義で、やたらかしこまった日本のサービスもどうだろうと思うが。

話はそれたが、本当に店が見つからない。
暑い中、店が閉まっている街の中をぐるぐると歩き回って、やっと見つけたトラットリア。
トラットリアとは庶民的なレストランで、昼飯を食べるにはもってこいのところだ。





疲れと安堵の思いで「ふう〜」とテーブルに着く。
男の店員さんに「ボンゴレビアンコスパゲッティー?」と聞いてみた。
店員さんは少し考えてから理解したらしくメニューを持ってきた。
メニューはイタリア語でわからないが「ボンゴレビアンコ」は何とかわかった。
ボンゴレビアンコにはさらに二種類あるらしく、一つはアサリ、もう一つはムール貝らしい。
僕はもちろんアサリの方を頼んだつもりだが、本当に出てくるかは心配だったが、しっかりとアサリのスパゲティーが出てきた!



本場のボンゴレビアンコ。アサリの量も麺もたっぷりの店’TENDA ROSSA’


見た目は完璧。
味は?僕はフォークに絡ま口に運んだ。
なんとなんと!麺のモチモチ感と言い、アサリスープの味と言い、これまで食べたこと無いくらい美味しい!
何なんだこのうまさは。
今まで店を探してやっと見つけたからなおさらだった。
それと、イタリアでの目的の一つであった、本場のボンゴレビアンコを食べたと言う事が、また充実感にもなった。

食べ終わって店を出る時、厨房からコックさんが出てきて僕らを見送ってくれた(ように見えた)。
たぶんこの辺の店にはあまり日本人が来ないのが珍しいのだろう。
僕は二人に感謝の意味で「パーフェクト」と言って1ユーロと百円玉をテーブルの上に置いた。






上は釣具やさんで、下はイタリア本島の個人商店のお店。店に入る時はボンジョルノとかチャオと挨拶する。


店が開きだし、また街の中心へ繰り出し、色々な店で色々な物を見る。
この街も路地が多く、そのいたるところにバールがある。
わりと大きなスーパーや百貨店は、だいたい日本の雰囲気と似ている。
だけど、置いてある品物がもちろん違うので、日用品とかを見ているだけでも面白い。
そういった意味では、この街は魅力的ではある。



石畳が綺麗だ


そして、見逃してならないのがマーケット(市場)だ。
最初迷い込んで入った市場は、まるでアメヤ横丁そのものだった。
その軒先にならんでいる野菜や果物、魚は新鮮そのもので、シチリアでは食材だけは困らないだろうというほど、食材で溢れている。






活気がある


いろいろと街中をぐるぐると廻っていたので、終いにはクタクタに疲れてしまった。
街の中心部では、僕らみたいな部外者も一通り安全なのだ。
でも当たり前だけど、外人が多い。


そして街で歩くのにも疲れたので、ひとまず公園で休むことにした。
その公園には小さな遊園地があった。
僕は、ベンチに腰を掛け、遊具で楽しんでいる子供を眺めていた。

その中の一つの遊具を見ていると、ビヨ〜ンと上下に上がったり落下したりしている乗り物があった。
その乗り物は小さくてちゃちなうえに、地面ギリギリまで落下してくるから、見ていて怖かった。
乗っている子供達は、まるっきり平気そう(と言うかつまらなそう)なので、その対比が面白く笑ってしまった。

何気に見ると、なんと乗り物の係員の中に、ジャンレノさんが居るではないか!
もちろんそれはジャンレノさんでは無く(彼はフランス人だし)、ジャンレノ似のお方が膝を立てて子供達を見守っていた。
それがまあなんとも力強く、微笑ましく見えた。





確かにこの国は治安という意味では日本より悪いかもしれないが、昨今の日本の幼児問題などを見れば、決して日本も安全だとは言えないのだ。
ある意味、イタリアと言う国は(僕は南しか行ってないが)、大らかで自由気ままな国だ。
食べたいものは食べる。休みたい時は休む。笑いたいときは笑う。渡りたい時は渡るとハタから見ればやりたい放題。

しかし、何もかもガチガチに強制され、こうではなくちゃならないと教え込まれた世の中から見れば、そう言ったイヤな部分だけが見えるのかもしれない。
実際にそこに居る方は、南の国で暖かく過ごしているのかもしれない。



夕方ベランダに出ていた人が、手を振ってくれた


そして、僕は写真を沢山撮っていたのだけれど、最初は「なんか撮ると怒られるかな」と思っていたが、実はそうではなかった。
ここの国の人たち(何度もいうようだが南部の人)は、写真を撮ってもらいたくて仕方ないことがわかった。
人懐っこいといえば、そういえなくも無い。
半分の人は、鼻歌とか口笛を吹いていて、とても陽気な人が多い(黙々と働く人もいるが)。
もちろんマフィアが居なくなったのも理由に挙げられる。





でもまあ観光地を除く、イタリアの大都市はだいたいこの様な土地で、そう言った都市部には2度目は行きたくは無いのが正直な感想だ。
それでも、トラットリアの店の人や、その他の現地のガイドの方や、途中で道を教えてくれたやさしい方は、僕らを暖かく受け入れてくれた。

こういった日本とはギャップのある他文化の土地で、いろいろと考えるのも一種の勉強ではないかと思う。
でも結局は、日本に着いて「ああ、やはり日本は良いなあ」と、また同じ生活を繰り返してしまうのだけどね。





Grazie mille !


(南イタリア紀行おわり)





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